№2049 弘道会 代紋 純銀金張バッジ シリアル番号『本物』 50,000円
商品番号 2049
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昭和30年代、名古屋港で荷役業務を取り仕切っていた鈴木組組長・鈴木光義(中森光義とも名乗った)が、三代目山口組の舎弟となっていた打越会会長・打越信夫と兄弟盃を交わし、この縁により三代目山口組組長・田岡一雄の舎弟となって、昭和30年代後半から組織拡大を行った。1966年(昭和41年)、鈴木光義が渡世から引退し鈴木組は解散。鈴木組若頭・弘田組組長・弘田武志が地盤を引き継ぎ、弘田組は三代目山口組若中となった。1983年(昭和58年)、東陽町事件で懲役13年の刑に服していた若頭・司忍が出所した。田岡一雄亡き後の山口組四代目跡目問題で弘田武志は山本広擁立にまわり、竹中正久派と対立する形となっていた。しかし若頭・司忍らの説得により山本広らが山口組を脱退し新たに結成した一和会には加わらず、1984年(昭和59年)に弘田は引退し、弘田組は解散した。1984年(昭和59年)、弘田組若頭・司忍が弘道会を結成。四代目山口組若中となった。